はじめに
ウィリアム・ワイオンによるゴシッククラウンは、英国貨幣史において
芸術性と希少性を兼ね備えた象徴的なコインとして位置づけられています。
その独特なゴシックリバイバル様式は、19世紀中頃に英国で中世の美術や
建築様式が再評価される中、ウィリアム・ワイオンも美的表現を模索して
生まれたスタイルでした。ヴィクトリア女王の治世初期にあたる1847年に
初めて発行されたこのコインは、多くのコインコレクターにとって特別な存在です。
本ブログでは、ゴシッククラウンの基本情報から歴史的背景、デザインの詳細、
希少性、市場価値、製造技術、そして後世への影響まで、多角的に解説します。
【ゴシッククラウンの基本情報】
発行年 :1847年
額面 :クラウン(5シリング、1ポンドの4分の1に相当)
当時の英国では、1ポンドは20シリング、1シリングは
12ペンスという複雑な十進法以前の通貨制度が用いられていました。
クラウンは、その中でも比較的高額な額面でした。
素材 :銀(主に.925スターリングシルバーですが、.999純銀も存在します)
ごく稀に金製のプルーフも製造されました。
重量 :約28.2g〜28.3g
直径 :約38mm
デザイン:ウィリアム・ワイオンRA(当時、英国王立造幣局の主任彫刻家)
(王立芸術院の正会員資格の名称RA(Royal Academician)が
姓の後ろに付きます)
彫刻 :ウィリアム・ワイオンRA
ミント :英国王立造幣局(当時、ロンドンのタワー・ミント)
【歴史的背景】
●ヴィクトリア女王の治世
ゴシッククラウンは、ヴィクトリア女王の長い治世(1837年〜1901年)の初期に
発行されました。1847年はヴィクトリア女王の戴冠10周年にあたり、
この記念にゴシッククラウンが発行されました。
●1847年当時の英国社会情勢
ヴィクトリア朝時代は、社会、産業、芸術において大きな変化が起こった時代でした。
19世紀中頃に、ゴシックリバイバル運動が盛んになり、芸術、建築、デザインに
影響を与えていました。ゴシッククラウンのデザインは、当時の建築様式、特に
ゴシック様式で再建された国会議事堂などの影響を受けています。
1847年という年は、アイルランドの飢饉、鉄道投機熱とその崩壊による経済不安
(1847年恐慌)、そして労働時間短縮を求める十時間法などの社会改革といった出来事が
起こった年でもありました。
●当時の貨幣制度
当時の英国では、十進法以前の複雑なポンド、シリング、ペンスによる通貨制度が
用いられていました。これらの単位の関係は、1ポンド=20シリング=240ペンスでした。
ソブリンやギニーといった他の額面の貨幣も流通していました。
【デザインの詳細】
●表面のデザイン
○左向きの若きヴィクトリア女王の戴冠した胸像が描かれており、「ゴシック肖像」として
知られています。女王の王冠(聖エドワード王冠)、髪型(編み込み)、そしてイングランドの
バラ、スコットランドのアザミ、アイルランドのシャムロックで飾られた豪華な刺繍の
施されたローブの細部が精緻に描写されており、連合王国の統一を象徴しています。
○ゴシック文字による碑文:「VICTORIA DEI GRATIA BRITANNIAR. REG: F: D.」
翻訳「神の恩寵によるヴィクトリア、英国の女王、信仰の擁護者」
VICTORIA:ヴィクトリア
DEI GRATIA:神の恩寵による
BRITANNIAR. REG:英国の女王
F:D.:信仰の擁護者(FIDEI DEFENSOR)
○胸像の切り落とし部分には、ウィリアム・ワイオンのイニシャル「WW」が刻まれています。
ウィリアム・ワイオンはデザインおよび彫刻を施しました。
肖像を取り囲むように、三つ葉模様と弧(アーチ)が交互に配置・構成された装飾的な縁が
施されています。
●裏面のデザイン
○イングランド(3頭のライオン)、スコットランド(直立するライオン)、アイルランド(ハープ)の
3つの王国を表す、戴冠した十字形の盾が描かれています。
盾は、中央のガーター勲章(英国最古の最高位の騎士団勲章)の星を取り囲むように
配置されており、その星には「HONI SOIT QUI MAL Y PENSE」(「悪意を持つ者に災いあれ」)と
いうモットーが記されています。
盾の間には、連合王国各国の花(バラ、アザミ、シャムロック)が配置されています。
○ゴシック文字による碑文:「TUEATUR UNITA DEUS ANNO DOM MDCCCXLVII」
翻訳 「神がこの連合王国を守り給わんことを、西暦1847年」
TUEATUR:守り給わんことを
UNITA:連合された
DEUS:神
ANNO DOM:西暦
MDCCCXLVII:1847年
○一番上の王冠の両側、内側の縁には、ウィリアム・ワイオンのイニシャル「WW」が
刻まれています。
裏面のデザインはスコットランドの芸術家ウィリアム・ダイスRAによって行われ、
彫刻はウィリアム・ワイオンによって行われました。
裏面のデザインは、構成する国々とその象徴を表現し、連合王国の統一を表しています。
ガーター勲章は、王室と騎士道の象徴性を表しています。
ワイオンとダイスの共同作業は、このデザインの芸術的な取り組みを示しています。
碑文は、神の庇護の下での国家統一というテーマを表しています。
●エッジのデザインと刻印
○ほとんどの例では、ゴシック文字による隆起した碑文、
「DECUS ET TUTAMEN ANNO REGNI UNDECIMO」が見られます。
翻訳「名誉と守護、治世第11年」
DECUS ET TUTAEMEN:名誉と守護
ANNO:年に
REGNI:治世
UNDECIMO:第11に
「DECUS ET TUTAMEN」は、コインの縁を削り取る不正行為を防ぐための一般的な碑文でした。
「ANNO REGNI UNDECIMO」は、ヴィクトリア女王の治世第11年
(1837年即位のため、1847年に相当)を示しています。
より稀なバージョンとして、プレーンエッジ(刻印なし)のものも存在します。
さらに稀なものとして、「DECUS ET TUTAMEN ANNO REGNI SEPTIMO」
(治世第7年、1843年)という刻印を持つものも存在します。
○刻印されたエッジは、ゴシッククラウンの重要な特徴であり、装飾的な役割と不正行為を防ぐ
セキュリティ機能の両方を提供していました。治世年表示は、発行年を特定する上で役立ちます。
プレーンエッジや「SEPTIMO」のエッジを持つものが存在することは、異なる製造段階や
実験的な試作品を示唆しており、コレクターにとっての関心を高めています。
【希少性】
●ゴシッククラウンの異なるバージョンと希少性
○エッジのバリエーション:
・UNDECIMOエッジ:
標準的な「DECUS ET TUTAMEN ANNO REGNI UNDERCIMO」の刻印を持つ最も
一般的なタイプです。
・プレーンエッジ:
エッジに刻印のない、より希少なバリエーションです。
・SEPTIMOエッジ:
「DECUS ET TUTAMEN ANNO REGNI SEPTIMO」の刻印を持つ非常に稀な
バリエーションで、ヴィクトリア女王の治世第7年(1843年)を示しています。
・銀の純度のバリエーション:
ほとんどがスターリングシルバー(.925)ですが、一部のプレーンエッジの例は
.999純銀であることが知られています。
○プルーフと流通版:
ゴシッククラウンは主にプルーフコインとして製造され、コレクター向けであり、
一般流通を意図したものではありませんでした。流通した例も存在しますが、
一般的にグレードは低くなります。
○肖像のバリエーション:
1847年発行の標準は「ゴシック肖像」ですが、この若々しい肖像に微妙なバリエーションが
存在するかどうかは明らかではありませんが、現在のところ、「ゴシック肖像」が主要な
タイプであると考えられています。
○年号違い:
非常に稀な1846年の試鋳貨と、1853年のプルーフのみの発行が存在し、これらは極めて
希少です。
これらのエッジや銀の純度のバリエーションの存在は、コレクターにとって複雑さと興味深さを
増しており、特に希少なタイプは非常に高い人気を誇ります。プルーフコインとしての主要な
発行という事実は、現存するコインの状態が良い理由の一つです。また、試鋳貨や1853年の
発行は、ゴシッククラウンのコレクションにおいて特別な位置を占めています。
(まとめ)
バリエーション 説明 推定希少度
UNDECIMOエッジ 標準的な刻印エッジ 一般的
プレーンエッジ エッジに刻印なし 希少
SEPTIMOエッジ 「SEPTIMO」刻印エッジ 非常に希少
.999銀プレーンエッジ 高純度銀で打たれたプレーンエッジ 希少
1846年試鋳貨 公式発行の前年の非常に稀な試鋳貨 極めて希少
1853年プルーフ 1853年発行のプルーフのみのコイン 希少
●推定発行枚数と希少性
○推定発行枚数:
1847年に発行された銀のゴシッククラウンは約8,000枚と推定されています。
○金貨:
ごく少数の金製プルーフも製造されました(推定4-8枚)。
○プレーンエッジの希少性:
プレーンエッジの例は、標準的なUNDECIMOエッジのものよりも大幅に希少であり、
元の発行枚数の5-10%程度と考えられています。
○SEPTIMOエッジの希少性:
SEPTIMOエッジのバリエーションは、プレーンエッジよりもさらに希少であると
考えられています。
○1853年プルーフの希少性:
1853年のプルーフ発行も非常に希少で、発行枚数は不明ですが、少ないと考えられています。
○現存数:
多くのオリジナルのコインは、時間の経過とともに失われたり、コレクションとして
保管されたりしており、特に高グレードのものの希少性を高めています。
○最高グレードの現存例:
ごく少数の例のみが、高いグレードを獲得しています。
ゴシッククラウンの比較的少ない発行枚数は、その収集価値と高い市場価値に大きく
貢献しています。金貨、プレーンエッジ、SEPTIMOエッジのバリエーションはさらに発行枚数が
少ないため、上級コレクターにとって非常に魅力的な存在です。現存する高グレードのコインの
少なさも、コレクター間の競争を激化させています。
【市場価値と収集家における人気】
○高い市場価値:
ゴシッククラウンは、特に状態の良いものであれば、貨幣市場で高値で取引されます。
○オークション記録:
さまざまなグレードやバリエーションの最近のオークションでの高額落札例が見られます。
○ディーラー価格:
コインディーラーが提供するゴシッククラウンの価格帯は、グレードによって大きく異なります。
○人気の理由:
・美しさと優雅さ:
複雑なゴシックリバイバル様式は、その芸術的な価値が高く評価されています。
・希少性:
発行枚数が限られているため、入手が困難であり、コレクターの願望を掻き立てます。
・歴史的意義:
ヴィクトリア女王とゴシックリバイバル期との関連性が、歴史的な魅力を高めています。
・彫刻家の名声:
ウィリアム・ワイオンが著名な彫刻家であるという事実は、コインの威信を高めています。
・現代のコインへの影響:
ゴシッククラウンのデザインは、現代の記念コインにも影響を与え続けており、その不朽の
魅力が示されています。
高い市場価値は、ゴシッククラウンの希少性、美しさ、そして歴史的な重要性を反映しています。
オークション記録は、その価値と価格動向の具体的な証拠を提供します。その永続的な人気は、
芸術的な魅力、希少性、歴史的背景、そして制作者の評判の組み合わせに起因しています。
現代のコインへの影響は、そのデザインが時代を超えて評価されていることを示しています。
【製造技術】
○ヴィクトリア朝時代の英国王立造幣局:
当時、英国王立造幣局はロンドンのタワー・ヒルにあり、この時期には手動プレスから
蒸気動力プレスへの移行期でした。
○彫刻技術:
ウィリアム・ワイオンは熟練した彫刻家であり、おそらく手彫りの技術と、より大きな
モデルからコインサイズにデザインを転写するための縮小機などの補助的な技術を
用いていました。当時としては非常に高度なレベルの細部が実現されていました。
○プルーフ打刻:
プルーフコインは、特別な注意を払って打刻され、多くの場合、磨かれたダイと複数回の
打刻を使用して、高いレベルの細部と鏡面のような仕上げを実現していました。
○エッジ刻印:
コインのエッジに隆起した文字を追加する製造プロセスについて、ヴィクトリア朝時代の
英国王立造幣局は、蒸気動力の導入することにより、より一貫性のある高品質の貨幣製造を
可能にしました。プルーフコインの細心の製造プロセスは、その優れたディテールと
仕上げを実現しました。
【後世への影響と意義】
○コインデザインへの影響:
ゴシッククラウンの複雑なデザインとゴシック文字の使用は、英国国内外のその後の
コインデザインに影響を与えました。そのデザインが「ゴッドレス・フローリン」(※)に
再利用されたことは、その影響力の例として挙げられます。
○コイン収集の世界における意義と評価:
ゴシッククラウンは、英国の貨幣学において最も美しく重要なコインの1つとして
広く認識されています。
○評価:
歴史的背景、芸術的な卓越性、希少性の組み合わせにより、コイン収集コミュニティに
おいて高い評価と永続的な魅力が保証されています。
○現代の記念貨:
ゴシッククラウンのデザインに基づいた現代の記念貨幣が継続的に発行されていることは、
その不朽の遺産と象徴的な地位を示しています。
ゴシッククラウンの影響は、そのデザイン要素が後の貨幣に採用されたことからも明らかです。
その「美しい」そして「重要な」コインとしての評価は、その貨幣学的な意義を裏付けています。
高い市場価値と現代の記念貨幣への継続的な関心は、コレクターの間での永続的な遺産と魅力を
示しています。
※:1849年にイギリスで発行された2シリング銀貨。通常の君主銘文に含まれる
「D.G.(Dei Gratia/神の恩寵によって)」や「F.D.(Fidei Defensor/信仰の擁護者)」と
いった宗教的な表現が省略された2シリング銀貨。
【結論】
ウィリアム・ワイオンのゴシッククラウンは、1847年に発行され、ゴシックリバイバル様式と
精緻なデザインで、英国貨幣学において特別な地位を確立しました。主任彫刻家ワイオンと
芸術家ウィリアム・ダイスの共同制作によるこの銀貨は、当時の歴史的、社会的背景を
反映しており、発行枚数の少なさから希少価値が高く、市場でも高値で取引されています。
表面のヴィクトリア女王の「ゴシック肖像」と、裏面の連合王国を象徴する意匠、そして特徴的な
エッジの刻印は、コレクターにとって大きな魅力となっています。エッジのバリエーションや
銀の純度の違い、そして稀な年号違いの存在は、ゴシッククラウンの収集をさらに奥深いものに
しています。製造技術の面からも、当時の英国王立造幣局の高度な技術力が窺えます。
ゴシッククラウンは、その芸術性、希少性、歴史的意義から、今日においてもコイン収集家に
とって最も垂涎の的の一つであり続け、そのデザインは現代の記念貨幣にも影響を与えています。
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